稽古



伊藤、黒田、松方の3人は国主補佐官である瀬戸口に業務報告書を提出し終え
軍施設へ戻るため初空城城内を歩いていた。
すると、国主の息子である結が待っていた。
3人は、結の姿に気づくと結に向けて敬礼をした。結はそれに一礼を返すと言った。

「伊藤様お待ちしておりました。」

「結様、お元気そうで。ところで、どうされました。あたしに何か用ですか?」

伊藤は、結いが自分を待っていた理由が分からないと言った様子で言った。

「伊藤様。お約束をお忘れですか?」

そう言うと、結は以前、伊藤に剣術の稽古を付けてくれるように頼んだ時に
次に城に来た時、必ず付けるという約束をしたことを説明した。

「そういえば、そんな約束しましたっけねぇ?」

年をとると物忘れが激しくていけませんねぇ。と、軽く笑いながらしらばっくれる
伊藤を黒田は、都合のいいときだけ年寄りになる人だ。とあきれた目で見ていた。
一方、松方は約束を忘れた事を笑いながら話す伊藤を見て、結が怒らないか
不安そうな目を向けた。

「はい、確かに仰いました。今日は軍の定期報告日なので必ずいらっしゃると思い
待っておりました。」

結が、にこにこと明るい笑顔で言ったので松方は安心した。
伊藤は、少し考えてから言った。

「分かりました、致しましょう。」

ただし、と伊藤は言葉を切ると驚くべき事を言った。

「稽古は黒田が付けます。」

自分は長いこと剣を握っていないし、剣の腕も黒田方が上だから黒田が付けさせる。
と言ったのだ。
黒田は、自分が今まで一度も勝てたことのない伊藤に、自分の方が剣の腕が上だと
言われたので眉間にしわを寄せた。

「黒田さんが付けてくださるのですか!」

結は、自分があこがれていた黒田に稽古を付けてもらえると一瞬喜んだ。
しかし、黒での眉間にしわに気づき落ち込んだ。
結が、黒田の眉間のしわを見て落ち込んだことに気づいた松方は黒田に言った。

「黒田司令官、眉間にしわが寄ってますよ。それではまるで嫌がってる様に見えてしまいます。」

黒田は、松方の指摘を受けると結の顔を見た。先ほどよりも明らかに気持ちの沈んだ顔をした結
にすまない思いを感じた。黒田は言った。

「結様、喜んでお引き受けいたしましょう。」

黒田のその言葉と眉間からしわの消えた表情を見ても、結の気持ちは沈んだままだった。
松方は結と黒田を心配そうに見つめた。
伊藤はと言えば、そんな3人をどこか楽しそうに見ていた。

4人は中庭に移動した。
伊藤と松方の2人は稽古を見学するため、中庭に設置してあるテーブルセットに移動した。
結は、不安と緊張の入り乱れた複雑な表情を黒田に向けていた。
黒田はそんな結の表情に気づきつつも、どうしたらよいのか分からずとりあえず
自分の今できる事をしようと結に言った。

「始めますか?」

「はい、お願いします。」

稽古が始まると落ち込んだ気分は一瞬で吹き飛んだ、黒田の殺気さえ感じる真剣な目を
前にすると、余計な思いなど考えている余裕はなかった。
そして、数十分もしない内に、結の息は完全に上がってしまっていた。
黒田の威圧感の前に、神経と体力が秒単位で削られていくのがはっきり分かった。
剣を打ち込んまれたのは、ほんの数回のはずなのにもう何十本も打ち込まれたかのように
受ける腕がだるかった。しかも、自分の打ち込みはすべて打たされているのだと感じていた。
結のその感覚は正しく、黒田は時々結が打ち込みやすいように隙を作っていた。
結の残りの体力を見極めて黒田は言った。

「そろそろ終わりにしましょう。これ以上は意味がありません。」

その言葉を聞いた結は自分があきれられたのだと感じた。

「黒田さん、ありがとうございました。僕、これでも剣術で特別分隊を目指してたんです。」

でもこんな腕じゃ無理ですよね。と自嘲気味に震える声で結は言った。

「結様の腕は、自分の身を守る程度なら問題ないと思います。ただ特別分隊に入るのは無理です。」

黒田のその言葉を聞いて、結は下を向いたまま顔を上げることが出来なかった。
自分の頬を伝っている液体を、結は黒田に見られたくなかった。
黒田に言われた言葉が現実であると、先ほど体で感じた。
体中に悔しいという思いと、情けない気持ちがあふれ出す。自分の目指していた場所はこんなにも
厳しかったのだと結は思い知った。

「黒田司令官!そこまで仰ったのですから最後まで思ったことを仰ってください!」

2人のやり取りをずっと見ていた松方は、ついに我慢が出来ず言った。
松方には黒田が何を言いたいのか分かっていたが、結には言わなければ伝わらないのだと
黒田に言った。
黒田は自分の言葉が足りなかったのだと知った。そして結をまた傷つけてしまった事を後悔していた。

「結様。申し訳ございませんでした。自分は言葉が足りないようです。」

黒田は、自分はハンカチを持っていないので。と、自分の手ぬぐいを結に渡した。
手ぬぐいを差し出す黒田の顔が、先ほどに比べると少し伺うような表情になっているのに
結は気づき手ぬぐいを受けとった。
手ぬぐいを受け取ってもらえたことで、黒田は少し安心した。

「結様。うつむいたままで結構です、自分の話を聞いていただけますか?」

結は俯いたままこくりと頷いた。

「結様、軍とは組織です。それは分隊であっても同じです。組織ではある程度の能力が求められます。
しかし、すべての能力が求められるわけではありません。」

結には黒田が何を言いたいのか未だに分からなかった。

「つまりですね。自分は組織を統率ことはできますが、人を気遣い、励ましたりすることは苦手です。
そこにいる松方は、剣術も得意ですが人を気遣い、励ますことも得意です。松方は自分にとっても特別分隊にとっても必要です。」

黒田は少し自分の頭の中を整理するように一呼吸おいて言った。

「結様。特別分隊の剣術のレベルを下げるわけにはいきません。これはには皆の命を預かっておりますので。
ただし、特別分隊での仕事は剣を使い戦闘を行う仕事ばかりではありません。武器にしても、今は剣が多いですが別に剣でなければならないと言うわけでもありません。どの道を選ぶにしろ特別分隊に入るのは厳しいことです。私の考えは以上です。」

松方は嫌がらせは直接言うくせにこう言うことは遠回しにしか言えない、上司にため息をつきたくなった。
しかし、明るさを取り戻した結の表情を見て自然と笑みがこぼれる。

「黒田、あんた成長しましたね。」

伊藤は、以前より成長した部下と、そしていずれは自分の部下になるかも知れない結を温かい眼差しで見つめていた。



山国絵巻、第二作目。一作目と比べて黒田さんと松方君が別人になってしまいました…。でも伊藤さんが書けたので楽しかったです。ここまで読んでいただきありがとうございました。(2006.02.19)

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